東京から世界を眺めて

日々の出来事について考えたことを書いています

寒さがいっそう厳しくなってきました。年あけ東京でも大雪が降り、その後も日中の気温が2桁に届かない日が続いています。憂鬱なのは、コロナ対策で電車やバスの窓がかならず開けていて外と変わらないくらい車内が寒い。常時マスクしているのだから勘弁してほしいなあ。


そんな寒すぎるバスを降りて自宅への帰り道、ふと夜空を見上げると今年もオリオン座がでていました。ベルトの三つ星、冬の大三角形のひとつペテルギウス、青白く輝くリゲルに再会すると冬を最も感じる。十代だった頃、実家の庭先で飼っていた柴犬の頭を撫でながら、このオリオン座を毎年のように眺めていました。いろんな物事が変わってしまったが、天空に輝く星座だけはずっと変わらない。


変わらぬ天空、変わる地上。だが振り返ると、世界はだいたい6年を周期ごとに、樹木が年輪を重ねていくように、時代ごとの節をつけているようです。60歳を「還暦」というのは、さすが昔の人は言葉の選び方がうまいなと思う。6年を10回くりかえして人生が一巡するというのは、人生の深い知恵を感じます。


時代の渦中にいると、それが後の転換点の端緒だったことに気づくことがありません。しかし、過去の歴史を整理すると「これはもしかしたら時代の断層をつくった事件だったのではないか」というきっかけを与え、次を予測する手立てになるかもしれません。そんな意図で、現代から30年くらいを6年ごとに分類して、ラベルを貼ってみました。


ここの仮説は、昨年2021年から新時代のフェーズに入ったと考えています。それは経済のインフレ進行が、世界各地で生じる様々な事件の引き金になると予測しています。


2021年〜 コロナ感染症による政治、経済、社会、文化の混乱が続くなかで、
     各国政府の巨額の財政支出と未曾有の金融緩和を両輪にして経済を支えた。
     これが株高・資源価格の高騰を招き、いよいよインフレ経済への転換か?


2015年〜 中国の野心:「中国製造2025」構想を発表、
     これが米中対立の導火線になり、ついに2017年にトランプ大統領が誕生。
     米中の関税をめぐる熾烈な駆け引き。
     コロナ感染症の世界規模の蔓延(2020)によってトランプ氏は退場へ


2009年〜 中国の飛躍。巨額の財政出動を発表。この需要喚起政策が
     リーマンショック金融危機で苦しむ世界不況を救ったとみています。
     翌年に中国は日本を抜いてGDPで世界第二位に躍進。
     米国はオバマ大統領が就任、欧州はギリシア危機に続く金融危機
     日本は民主党政権誕生し、東日本大震災発生(2011)、安倍政権(2012)


2003年〜 スマホ/SNS時代が到来。メディア革命。
     AppleiPhone発売、Facebook社やTwtter社が創業、
     日本では六本木ヒルズに代表されるIT長者が続々誕生。郵政選挙(2005)
     金融界はサブプライムローン組成の複雑化でリスク所在が視界不良に。
     北京五輪の同年、ついにリーマンショックに至り金融好景気が終焉(2008)


1997年〜 鄧小平の死、S.Jobs氏がApple復帰、翌年Google創業
     これが象徴となるが中国そしてApple革命/GAFAの30年が始まる。
     アジア通貨危機(1997)、ユーロ誕生(1999)、米国ITバブル崩壊(2000)、
     NY同時テロ(2001)、中国がWTO加盟(2001)


1991年〜 ソ連が崩壊しロシア建国。米国一強時代へ。
     翌年クリントン氏が大統領就任、欧州連合(EU)発足(1993)
     MicrosoftがWindows3.1リリース(1991)し、さらに
     Windows95の登場でPC時代が到来。Internet勃興。
     

歴史になりつつあるコロナ、その居場所をつくるために

東京都が17日に発表した新規コロナ感染者は3719人でした。月曜日としては過去最多、前週の4.2倍と感染者数が指数関数的に増えてきて、これはいよいよ心配な数字だと身を固くしたかといえばそうでもない。というのも重傷者数はたったの5人という現実がすべてを物語っている。もう昨年のような経済活動の大幅な制限には国民的な理解が得られることはないと思います。

世界を襲ったコロナ感染症の「猛威に怯える日々の終わり」を迎えているのでしょう。コロナも自身の生き残りをかけて、今後もさらに変異を繰り返していくでしょうが、変異とともに弱毒化も進んでいく。コロナもまた、冬の時期に流行する一般的な風邪のひとつという扱われ方になっていく。

ふり返えれば人類史は、さまざまな感染症との戦いの歴史でもあった。かつて欧州全土を覆った黒死病(ペスト)、100年前のスペイン風邪の流行、などなど。今回のコロナ対応では、人類の英知の力を見せつけた驚くべきスピードでワクチンを開発し、経済活動の混乱を前例のない金融緩和や資金供給で経済危機を回避し、懸念されたワクチンの副作用も目立った問題が起きることなく今に至っている。先進国での接種率はすでに半数を超えて、途上国への供給先が広がっているし、たとえコロナに罹患しても重症化を防ぐための様々な治療薬が開発され、知見も進んで重症化しにくくなっている。

そんな今回のコロナ騒動のさまざまな出来事を記録として残しておきたい。数年先には今の騒ぎは風化していて、何十年かのちに発行される現代史の教科書にはコロナ騒動の記述などないか、せいぜい1、2行で語られるだけになるだろう。時代の断層ともいうくらいに大きく生活様式が変わったというのに。それは、今から100年前、第一次世界大戦に前後に流行したスペイン風邪の場合もそうで、高校時代の日本史にスペイン風邪が大きく取り上げられてきた記憶がない。第一次大戦から第二次大戦に至る過程に、スペイン風の流行による多数の死者を出したことが何か震央部で要因になったのでは。人々の相互交流が途絶えた時期が生まれ、それが大戦に繋がる小さな軋轢を世界各地で生み出したのではないかという気がする。

コロナを後世に語り継ぐには、よいネーミングが付けられるか否かでしょう。「コロナ風邪」ではスペイン風の二の舞になる。ではと「コロナ騒動」では「米騒動」「東大闘争」みたいに人為的なデモ騒ぎのようで言葉の座りが悪い。226事件や、9.11同時テロ、3.10東日本大地震のような「ある日の出来事」という短期的な事件でもない。「大化の改新」「明治維新」のような、時代の転換を示すこと言葉こそ相応しく、コロナ時代の終焉に向けたこの数ヶ月の間、少し考えてみたい。

コロナオミクロンと風疹抗体検査

コロナの新型種「オミクロン」が世界中で大流行していて、東京都は本日4561名の新規感染者数が確認したと発表しました。
ところが重傷者数は前日から1名増えて4名とのこと。

専門家からも指摘があったとおり、感染力が強いものの重症化するリスクは極めて低いようです。

感染者の急増は、つまり自覚症状のない感染者から伝播した割りあいがこれまでになく高いのでしょう。自分もそんな「自覚症状でない感染者」だったことを思い知らされる出来事が今日ありました。

居住地の自治体から昨年4月に風疹抗体無料検査の案内がありました。特定の世代の男性は風疹の予防接種を受診してない谷間の世代に属していて、感染力の高い風疹の蔓延を防ぐための自治体の施策でした。このサービス、有効期限が1年で3月で期日に達してしまうのです。年明け8日に近くの内科クリニックで採血してもらいまして、今日抗体検査の結果を伺いました。

結果は、抗体十分にあり。どうやら5年から10年くらい前に風疹に罹患していたようですね、と担当医の御宣託をいただきました。

「は?」

風疹と思う発疹もなければ発熱もここ数年覚えがないくらい健康な日々を過ごしていたのです。

こういうことがあるのですね。オミクロン種騒動もこれに近い状況なのだと思います。徐々にコロナも「普通の風邪」という人類と”共生”していく種になりつつある兆候でしょう。

ブームに乗り遅れた感もありますが、いろいろな意味で節目を迎えた今年から、新たにブログをはじめます。千里の道も一歩から。千里先にはどんな世界が待っているのでしょう。楽しみです。