東京から世界を眺めて

日々の出来事について考えたことを書いています

歴史になりつつあるコロナ、その居場所をつくるために

東京都が17日に発表した新規コロナ感染者は3719人でした。月曜日としては過去最多、前週の4.2倍と感染者数が指数関数的に増えてきて、これはいよいよ心配な数字だと身を固くしたかといえばそうでもない。というのも重傷者数はたったの5人という現実がすべてを物語っている。もう昨年のような経済活動の大幅な制限には国民的な理解が得られることはないと思います。

世界を襲ったコロナ感染症の「猛威に怯える日々の終わり」を迎えているのでしょう。コロナも自身の生き残りをかけて、今後もさらに変異を繰り返していくでしょうが、変異とともに弱毒化も進んでいく。コロナもまた、冬の時期に流行する一般的な風邪のひとつという扱われ方になっていく。

ふり返えれば人類史は、さまざまな感染症との戦いの歴史でもあった。かつて欧州全土を覆った黒死病(ペスト)、100年前のスペイン風邪の流行、などなど。今回のコロナ対応では、人類の英知の力を見せつけた驚くべきスピードでワクチンを開発し、経済活動の混乱を前例のない金融緩和や資金供給で経済危機を回避し、懸念されたワクチンの副作用も目立った問題が起きることなく今に至っている。先進国での接種率はすでに半数を超えて、途上国への供給先が広がっているし、たとえコロナに罹患しても重症化を防ぐための様々な治療薬が開発され、知見も進んで重症化しにくくなっている。

そんな今回のコロナ騒動のさまざまな出来事を記録として残しておきたい。数年先には今の騒ぎは風化していて、何十年かのちに発行される現代史の教科書にはコロナ騒動の記述などないか、せいぜい1、2行で語られるだけになるだろう。時代の断層ともいうくらいに大きく生活様式が変わったというのに。それは、今から100年前、第一次世界大戦に前後に流行したスペイン風邪の場合もそうで、高校時代の日本史にスペイン風邪が大きく取り上げられてきた記憶がない。第一次大戦から第二次大戦に至る過程に、スペイン風の流行による多数の死者を出したことが何か震央部で要因になったのでは。人々の相互交流が途絶えた時期が生まれ、それが大戦に繋がる小さな軋轢を世界各地で生み出したのではないかという気がする。

コロナを後世に語り継ぐには、よいネーミングが付けられるか否かでしょう。「コロナ風邪」ではスペイン風の二の舞になる。ではと「コロナ騒動」では「米騒動」「東大闘争」みたいに人為的なデモ騒ぎのようで言葉の座りが悪い。226事件や、9.11同時テロ、3.10東日本大地震のような「ある日の出来事」という短期的な事件でもない。「大化の改新」「明治維新」のような、時代の転換を示すこと言葉こそ相応しく、コロナ時代の終焉に向けたこの数ヶ月の間、少し考えてみたい。